悟りの方程式 二宮金次郎の場合

「悟り」、「覚醒」、「啓示」、「開眼(かいげん)」とは何でしょうか。悟りというと東洋的なイメージがありますが、デカルトは、「哲学原理」の中で、認識とか知恵の段階には基本的な4つがあるとし、「神的啓示は、我々を段階的に導くのではなく、一挙に間違いのない信仰に高める」と述べ、つまり、通常の認識とは異なる特別な認識としています。(デカルト、哲学原理、岩波文庫 p17。)ですから、西洋にもそのような(宗教的な)体験があると知られているということです。仏教的な悟りとキリスト教の啓示を広い意味での悟りとして勝手にまとめて考察させていただきます。

 このブログ、アーカイブでは、いろいろな人(多くは聖人とされている)の悟りについて、それぞれ簡単にまとめ、できれば、その共通点に迫りたいということです。それが、方程式という意味です。

 まず、その1では、二宮金次郎のことを復習してみます。金次郎の開眼については、加藤仁平(かとうにへい)の「成田山における二宮尊徳の開眼、龍渓書舎、1977年」を中心にみてみます。加藤仁平は、明治27年に愛知県で生まれ京都大学哲学科を卒業し後に東京高等師範学校の教授などをされた方とのことです。

 二宮金次郎は、小田原で農家の家庭に生まれ育ちましたが、勤勉で、優れた経済観念もあり、自家の復興などで、藩主大久保忠真(ただざね)の信頼を得て、栃木県桜町の復興に34歳の時から取り組みます。長年、収支が赤字で、財政危機にあり、農民の生活も荒んで、酒や博打に溺れる人も多い土地でした。

 さて、それまで、金次郎は、小田原の服部家の再興に取り組みます。服部家は、財政赤字に苦しんで借金が増えるばかりでした。収入が減っているのに、主人やその家族、側近は、余禄も多く、ぜいたくなままです。金次郎のしたことは、黒字に転換するために、許容できる支出額を分度として統制したのです。使用人の給与は安く、借金を抱えて貧困なままです。現代と同じように格差も生まれています。金次郎は、分度のほかに、使用人に対しては無利子の貸付を行うとともに、具体的にどうしたら金を残せるかを指導しました。

 ともかく、金次郎は、地位のある者、その家族が、節約することを、どこまで節約すればいいかを計算して分度として示したのです。金次郎は優れた合理主義者だったと思います。ナイチンゲールも同じで、ふつう、優れた人格者のように思われていますが、それはそうなんですが、共に数学的考え方とその応用に秀でていることがあまり知られていないと思います。

 さて、金次郎は、大久保忠真により、栃木県桜町の経済的復興を任せられます。満34歳から行った仕法は、困難を極め、豊田正作らの悪意に満ちた妨害により、行き詰っていました。7年間の苦行のような生活によってか、辞表を書き、ひきこもり、41歳時に70両の大金を持って失踪してしまいます。この時の金治郎はうつ病に罹患していたと考えられます。失踪して3か月後に真言宗成田山新勝寺で、照胤(しょういん)和尚の全人的な接触を重ねながら、21日間にして、大悟しました。この内容は、金次郎自身によると、半円の見(けん)(半円観)から、一円の見(一円観)への転回であるといいます。物事の認識が、二分されていたのが、全体がみられるようになったとか、正邪があり、悪を一方的に嫌って避けようとしていたのが、善と悪とは一体だと認識するようになり、包括的認識というのでしょうか、全体的認識というのでしょうか、自分の立場を離れた認識というのでしょうか、そう変わったようです。彼を約3年間にわたって苦しめた豊田正作を悪と決めつけていたのですが、そういう自分本位の考えから離脱できたのです。

 ここで、金次郎は、すでに優れた人格と実績を持っていました。そして、41歳の時に開眼しました。その場所は真言宗の寺院であります。その前に7年間の苦行があり、最後は、うつ病のような心身ともに疲弊した状態でした。その後に失踪して現実逃避しました。断食に取り組んでから悟りまではわずか21日間です。悟った後は、現実生活で悩むことがすくなくなり、長期にわたって、人々に貢献しました。

まとめ
・病前の性格:まじめ、勤勉、おもいやり、正義感
・生まれ:中流家庭の農民だが、早くに両親を失い、洪水で田畑を失い、苦労した
・人間関係:藩主である大久保忠真と深い信頼関係
・苦労した年月:約7年間、特に後半の3年は深刻
・直前の状態:精神的疲弊(うつ病)、失踪、職場放棄
・悟りの過程:失踪3か月、断食21日
・悟りの介助者: 照胤 和尚
・悟りの内容:認識転換
・その後の生活:奉仕活動(600か所の復興、予知能力、鋭敏な認知力、発想、気づき)
・その他:食生活の変化(小田原でのよい食事、桜町では米と水だけなど、失踪で回復?、断食)

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