うつ病になった二宮金次郎 その5

開眼体験の精神病理学的意義とは

 金次郎の開眼体験はその他の宗教的解脱体験と同様に,言語化するのは容易ではありませんが,あえて精神医学的表現を試みるならば,自他の関係性や外界に対する認知様式の変化が,深い体験として金次郎の中に生じたということではないかと思われます。

 うつ病は一面では自己への囚われが強くなって身動きできない状態ともいえますが,開眼体験である自他の関係性や外界に対する認知様式の変化は,これらの固着からの脱却を可能にするだろうということは現代の認知行動療法の考えからも十分予測できることです。このような意味から,金次郎の開眼体験とそれに引き続く認知様式の変化は,うつ病の新たな防御因子の獲得であるともいえましょう。開眼以前の金次郎は,辞職願い,ひきこもり,失踪と,一貫して逃避という対処行動をとっていますが,開眼以後の金次郎は,障害が存在しても焦らず,固執せず,待てるようになり,その結果,うつ病再発を遠ざけることができるようになったのではないか,つまり,開眼に続く自他の関係性や外界に対する認知様式の変化によって,金次郎は望ましい防御因子,すなわち新たなレジリアンスを獲得し,ひきこもりなどの逃避的な対処行動をとる必要がなくなったのではないでしょうか。

 認識の変化は成田山以降,金次郎の中で成長し続け,自己の脱落,自他の立場の変換や善悪の超越という主題を金次郎は繰り返し表現しました。これは金次郎にとって新しい認知様式を自らに定着させる意図があったのかもしれません。失踪前と比べると,道歌も憂鬱感の表現のない清々しいものへと作風が一新されています。「ある在所きん村一つの大川あり,こちらの村里の人々は彼向岸を川向う,向村へ渡りて向村の里人にきけば,我村方を川むこうと申す也」13)と表現しています。その思想の変化は継続し続け,天保元年(1830年)8月に「一円仁(いちえんに),御法正き(みのりただしき),月夜かな」と作句し,対立概念から「一円融合の世界観」に達したとされます。天保2年1月には「打つこころあれば,うたるる世の中よ,うたぬこころのうたるるはなし」,天保4年9月には「香あるもの其のかをしらず,白きものしろきを知らず」と表しています。自他の立場を超越した認識はさらに発展し,「己身を,うちすててみよ,そのあとは,一つの外に,有物はなし」とし,天保5年の金治郎の哲学書と言ってよい三才報徳金毛録にこの世界観が結実したとされます。同書は,金次郎の世界観を,対立概念が一つの円の中に包含される図によって表現した哲学書です。

 金次郎は後に,以下のような講話をしています。「善悪はもと一円である。盗人仲間ではよく盗むのを善とする。天には善悪はなく,善悪は人道で立てたものである。見渡せば遠き近きはなかりけり,己々が住処(すみど)にぞある」。これらの中で,金次郎は自己あるいは常識への固執を離れ視点を自在に変えるという認識のあり方を示します。

 金次郎の開眼体験を他の宗教的体験と対比してみましょう。加藤は,成田山に入った金次郎は義の人だったが成田山から出たときは愛の人だったという言葉を紹介していますが,半円から一円への変化は,キリスト教でいえば,旧約から新約への変化―「目には目を,歯には歯を」から「敵を愛し,迫害する者のために祈れ」―という変革に近いと考えられるのではないでしょうか。

 道元は正法眼蔵の現成公案の中で,「自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり」。「自己をならふというは,自己をわするるなり,自己をわするるとは,自己の心身,および佗己(たこ,他として現れた自)の心身をして脱落せしむるなり」と,自己への固執からの脱却を述べています。金次郎の表現との類似点が多く見られ,これらと同等の認識の変革を金次郎は開眼によって獲得したのではないでしょうか。釈迦(ゴータマ・シッダッタ)は,苦行から一時逸脱し,ミルク粥で体調回復した後の修業で悟りを得たとされるのが通説ですが,長期間の困難または苦行 → 挫折と逃避 → 心身の健康回復 → 短期間の修行 → 開眼という一連の経過は両者に共通しているようにみえます。自分を忘れる,自分というものがなくなるというのは,大切な指標なのでしょうね。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」には,「ジブンノコトヲカンジョウニイレズニ」という言葉がありましたね。エゴイズムからの脱却でしょうか。石田梅岩もそのような体験をしているように思います。親鸞なども絶対他力ということで,自力から離れていると思われます。これらのことはまた別項で考察していきたいと思います。

おわりに

金次郎は,日記の最後に「予が書簡を見よ,予が日記を見よ,戦々兢々深淵に臨むが如く,薄氷をふむが如し」と記しています。この言葉,どこかで見たことがあります。論語巻第四泰伯第八に曾子の言葉で,彼が病で床に臥せったとき,弟子たちを呼んでこう言っています。「わが足を見よ,わが手を見よ。詩経には戦々兢々として,深淵に臨むが如く,薄氷を踏むが如しとある。これから先はもうその心配がないねえ」。金次郎は,どうして,曾子の言葉を最後に日記に書いたのでしょう。高邁な理想,強い使命感とによる緊張,そして,至誠神の如しという超越の間で生を全うしたのでしょうか。

 ありがとう。金次郎翁。あなたは鑑三が言う通り代表的日本人です。うつ病者にも力を与えてくれます。あなたのような聖人もうつ病を乗り越えてきたのだから。

文献

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