寛容の大切さ 花さん SNS

 妙好人因幡の源左は、このように言っています。
 谷口佐五郎が若かった頃、夫婦仲が悪く喧嘩が絶えず、あたりにも評判になっていた。ある時源左、「佐五や、そがに夫婦喧嘩して嫁をどつくなら、うちに来て、かご(紙漉き用のこうぞの皮)をうんと叩いてごせや。お宮に詣でるとなあ、獅子が両方に置いてあらあがなあ。片方さへ口をふさいで居りやあ、事は起こりやせんけいのう」。
 源左は無我な人で、おとなしい人であったが、腹はしっかりしたところがあった。お説教師などがあまりひどいことを言われると、「人を咎めずに、わが身を咎めてお説教をしなはれや、あんたが人を咎めなさると、人も亦あんたを咎めますけえなあ」。説教師が、「誰かさう言う人があるかやあ」というと源左、「誰もありませんだいなあ。このおらあがそがいひますだがやあ」 (柳宗悦、衣笠一省編:因幡の源左。百華苑)

源左  1842年(天保13年) – 1930年(昭和5年)

 あなたもご存じの通り、不寛容は、偽善者でもなければ反逆者しか作り出さないのである。・・・どうか不寛容の身の毛もよだつような結果をご覧いただきたい。(ヴォルテール:寛容論、中公文庫)

 バートランド・ラッセルは、90年前に下のように言っています。ピッタリはまってしまっているのではないでしょうか。

 言論の自由という大原則をどう考えるにせよ、現在の名誉毀損罪よりももっと鋭い一線を画するべきだ、と私は考えている。そして、罪のない個人にとって生活を耐えがたくするようなことは、いっさい禁止されなくてはならない。たとい彼らが、悪意を持って公表されれば不評を招きかねないようなことを、たまたま言ったり行ったりしたとしてもである。けれども、この害悪に対する究極的な治療法は、ただひとつ、一般大衆が一段と寛容になることである。寛容さを増す最善の方法は、真の幸福を享受しているがゆえに、仲間の人間に苦痛を与えることを主な楽しみとしていない個人の数を増やすことである。・・・・・
 幸福の秘訣はこういうことだ。あなたの興味をできる限り広くせよ。そして、あたたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものでなく、できる限り友好的なものにせよ。(バートランド・ラッセル:幸福論、岩波文庫)

 

ラッセル 1872-1970

 ガンディーは、他の宗教に対する寛容(Tolerance)の重要性について述べていますが、その寛容という表現が気に入らないとも述べています。「寛容という語には、他人の宗教が自分のものより劣っているといったいわれなき思い上がりが含まれています」と言っています。また、同様に「尊重という言葉にもある種の恩着せがましさが読み取れます」とも書いています。(ガンディー:獄中からの手紙、岩波文庫)

ガンディー 1869-1948

 「すべての魂は、その意志に反して真理を奪われている」という。 正義や節制や善意やその他あらゆる同様の徳についても同じことなのだ。このことをつねに念頭におく必要がある。なぜならば(それによって)君はすべての人に対してもっと優しくなるであろうから。(マルクス・アウレーリウス:自省録、岩波文庫)

 優しくありなさい。あなたの出会う人々は皆,困難な闘いに挑んでいるのだから Be pitiful, for every man is fighting a hard battle. (ジョン・ワトソン 1850-1907)

 さばかれたくないなら、他人をさばくな。ひとをさばけばそれと同じように自分もさばかれ、・・・・なぜ、兄弟の目にあるわらくずを見て、自分の目にある梁に気をとめないのか。(マタイ7)
 イエスは身をかがめて地面に指で何か書き始められた。彼らが問い続けるので身を起こし、「あなたたちの中で罪のない人がまずこの女に石を投げよ」と言われ、また身をかがめて地面に書き続けられた。(ヨハネ8)

Hits: 138